なぜなぜなぜを繰り返すと終わりはない

東京オートサロン2025のTGRブースで行われたトークステージでは、「モータースポーツを通じたもっといい車作り」をテーマに、レーシングドライバーの佐々木雅弘選手、石浦宏明選手、大嶋和也選手、トヨタ自動車の技能職である平田泰男さん、ルーキーレーシングのニュルブルクリンクジェネラルマネージャーである関谷利之さん、そしてトヨタ自動車のチーフエンジニアである齋藤尚彦さんが登壇した。MCは森田京之介さんが務めた。


トークショーは、MCの森田氏が寝坊で遅刻したというハプニングから始まった。「私今日9時20分に来まして、寝坊しまして、あの、本当にすいませんでした」と謝罪したものの、「でも開始が遅れたのは本当に違うんですよ」と弁解し、「しっかりとやらせていただきますんで、よろしくお願いします」と述べた。


トークの冒頭では、ニュルブルクリンクに関する車両が多数展示されていることが紹介され、特にLFA、スープラ90、そして今年挑戦する25年ヤリスに焦点が当てられた。「LFAに関わってた方は?」という問いかけに4人が手を挙げ、石浦さんと大島さんは実際に乗っていたそうだ。石浦さんは「すっごい乗りやすく仕上がって、あの、結構良かった」と述べ、大島さんも「思い出深い車」と語った。スープラ90については、佐々木さんが「森澤さんと一緒に乗らしていただいて、クラス3位だったかな」と語り、この日がA90スープラのデビュー日だったというエピソードも披露した。


今年挑戦する25年ヤリスについて、佐々木さんは「この車、Dなんだよね」と述べ、Dクラスでニュルのレースに出るのは初めてだと説明した。耐久性への不安を口にしながらも、「すごく乗りやすくて、あの、Dでもの凄い走りに集中できるので、24時間にはその辺では向いてるかなと思う」と評価した。石浦さんは「Dが2時間持つのかっていう不安がまだある」と指摘し、国内で耐久テストを繰り返している現状を語った。


メカニックの立場で参加した平田さんは、「参戦初年と森さんと組ませていただいて、ドライバーとしてアルテで出させていただきました」と、アルテッツァでドライバーとして参戦した経験を語った。また、ミッドシップの車作りにも携わっていることが明かされた。


モータースポーツを通じた車作りについて、メカニック目線で語った関谷さんは、ニュルで車を走らせる際にまず考えることとして、ドライバーが運転に集中できる環境を整えることを挙げた。「ドライバーの方は本当にそこに集中したいっていうとこがある中で、まだあの、注目されるのはその運動性能だとか、走りやすさだとか、ま、そういうとこを注目されますが、それ以外にやっぱ内装、自分が乗ってる空間をいかに快適に見せるかとか、安心させられるか」と述べ、細部まで気を配って車作りをしていると語った。また、「すごく振動が大きいです。あの、上下入力もそうですし、細かい振動も多いので、あの、本当にここ大丈夫かなっていうのを常にえ、疑いながら、特にワイヤーハーネスですね、あの辺はかなり神経を使わないと」と、振動対策の重要性も強調した。


さらに、「メカニックの仕事は、ドライバーの安心と安全に関わる部分のレベルをちょっと引き上げる感じですね」と語り、その経験が販売車にも生かされていると述べた。また、「レースなのでぶつかる可能性もすごいあるので、ぶつかった時にどうなるかまでやっぱ考えとかないと、えっと、ドライバーが怪我してしまう」と、安全面への配慮も欠かせないと語った。

ドライバー目線から、メカニックの存在について、石浦さんは「初めてあの、一緒にお仕事させてもらったのは多分15年ぐらい前なんですけど、そのニュルに行く前のテストで、あの、僕も初めてで車乗せてもらったんですけど、もう怖くて怖くて」と、平田さんと初めて仕事をした時の印象を語った。しかし、「ただ、そういう厳しいところを見れたりするので、あ、こういう方がしっかりコントロールしてれば安心していけるなっていう、さっきの安心のところが1番最初にまずあったりとか」と、その厳しさがあるからこそ安心してニュルに挑戦できたと語った。また、「常にドライバーの意見も聞いて、車も作ってくれるんで、ま、そういう人たちがいなかったら多分安心して走れなかったと思います」と、メカニックの存在の大きさを強調した。


大島さんも「安全面に関してもう本当にそこまでやるかっていうぐらいこだわってやってくれてたので、ま、その辺は全然心配なかった」とメカニックの仕事ぶりを評価した。また、「初めの頃はやっぱ24時間のレース中にトラブルとか、あの、クラッシュとかで車壊れたりすると、ものすごい真面目というか、もうこだわりがすごいので、完璧に治るまで走らせてくれないんですよ」と、メカニックの完璧主義な一面を語った。平田さんは、「やっぱり自分がま、1番はさんに育てていただいてるんで、やっぱりそこはあの、ま、ある意味自分もそうだし、政客君もそこはやっぱり継承して、あの、今の若いメカニックたちにはあの、伝えていかないっていうのはある意味使命的にも思ってるところもありますし」と、自身の経験を若いメカニックに伝えていく使命感を語った。


トヨタの伝説のマスタードライバーである成瀬さんについても話題が及んだ。平田さんは、「ものすごいあの、こだわりが強くて、あと、やっぱすごい情熱があってもう本当、車触りだすと時間を忘れて触ってるような方」と成瀬さんの人物像を語り、「車作りに関してはあの、基本的にあの、反応、自分の感覚が全てで、で、自分の感じたことをあの、なんて言うのかな、ここが悪いんじゃないか、ここがなんか動いてんじゃないかだとかっていう仮説を立てて、で、それをあの、自分の思ったことをこうやって、で、最終的に検証して、あ、ここがダメなんだねとかっていう、あの、基本的にはもう全て感覚でやってるあの方でした」と、成瀬さんの車作りに対する独特なアプローチを語った。関谷さんは、「本当に経験と感覚でそれを元にして、自分で仮説を立てて、なぜなぜなぜをずっと繰り返してる、そういう車作りをする方かなと思いますね」と、成瀬さんの車作りを分析した。また、「なぜなぜなぜを繰り返すと終わりはないです。全然終わらないです。たぶん寝てる時も車のことを考えてるんじゃないかな」と、成瀬さんの探求心について語った。佐々木さんは「僕は直接関わったことはないんですけれども、やはり皆さんから聞くと、本当に感覚と車作りにすごく優れた方だと思います」と述べた。


エンジニア目線での車作りについて、メカニックの二人が過去のトヨタのエンジニアに対する印象を語った。「サーキット行くと、限られた人、限られた時間で色々やるんですけど、その時に何か起きた時に、みんなアイデアが欲しいんですよね。もうメカニックも当然アイデアを出しますし、ドライバーの方もアイデアを出してくれるで、エンジニアの方にも当然アイデア出してほしいんだけど、本当に聞くと、すいません僕ここの担当じゃないんで分かりません。ここは僕のやってる機能じゃないですっていうのが今まででした」と、当時のエンジニアの対応を振り返った。また「データ上は間違ってません。で終わっちゃいました」とデータ偏重の姿勢だったことを語った。


しかし「今はだいぶ変わった」と関谷さんは述べた。平田さんも「ちょっとだいぶ変わったと思います」と変化を認めたが、斎藤さんは「ちょっとまだまだです」と述べ、まだ改善の余地があることを示唆した。斎藤さんは「あの時から自分たちのエンジニア・ファーストで仮説を立てて、今大島さん言ったように、これなら大丈夫と言って持ってきてるので、そのデータから外れたことに関しては、データ上は大丈夫ですって言うように」と、自身の考えを述べた。ニュルでの挑戦を通じて、ドライバー、メカニック、エンジニアのコミュニケーションや関係性が変化し、より良い車作りに繋がってきていると語られた。


斎藤さんは「GRヤリス、本当にまず開発してるところから本当に鍛えていただきました」と語り、「最初は本当にね、石浦さん、大島さんともコミュニケーションが全然成り立たないぐらいだったんですけども、本当に丁寧に諦めずにご指導いただいた結果、GRヤリスが出て、その後、スーパー耐久、全日本ラリーと、またこれで鍛え直していただいてる」と、GRヤリスの開発を通じて、チーム全体のコミュニケーションが大きく改善されたことを明かした。