最終的には楽しいって思える大会になった

山口尚秀 選手

「この度は100メートル平泳ぎで銅メダルを獲得しました。応援ありがとうございました。」


富田宇宙 選手

「いろんな学びもあったし、最終的には銅メダル2つというありがたい結果もどうにかいただくことできましたので、 自分としては評価したいし、次につながる大会だったかなと考えてます。」


木下あいら選手

「ベストを更新して金メダルっていうのが目標だったので、そこは悔しいんですけど、 メダルを獲得できたのはよかったです。悔しい結果とかもあったんですけど、最終的には楽しいって思える大会になりました。」

富田宇宙 選手

「富田宇宙です。今回はこのような結果をいただくことができて大変光栄に思っております。本日よろしくお願いします。ありがとうございます。」


「そうですね。無重力体験、またできたらね、やりたいなとは思ってるんですけど、あれ、見た目の割にすごいお金かかるので、ちょっと莫大なお金かかるので。僕、宇宙に行きたいっていう夢、今すごく持ってまして、小さい頃からずっと持っていて。特にこのパラリンピック、東京に向け頑張った後から、また 以前のというか、目が見えていた頃の自分が追い求めていたものっていうのも、もう1個、もう1度ちゃんとチャレンジしたいなっていう気持ちがすごく強くなって。」


「その一環で無重力体験というのがあったんですけど、他にもスカイダイビングだったりとか、いろんな体験だったり、あとは 宇宙飛行士の方と対談させていただいたりとか、いろんな宇宙へのいろんな関わりっていうのも、今増やしていっているところなので。ただ、まだ宇宙旅行にね、目の見えない人が行くっていうのには少しハードルもありますけど、それをクリアするムーブメントというか、アクセシビリティの活性化みたいなことに寄与できるような活動は今後もしていくつもりなので、無重力飛行も含めて検討したいと思ってます。」


「技術的な改善という意味ではなかなか難しい面もありましたし、先ほどお話にもあったように、フィジカル面、年齢的なこともあって、体力を順調に上げていくことができなかった部分とか、色々難しい調整はたくさんありましたね。僕の場合、社会人になってからこの競泳を始めているので、それこそベテランの鈴木選手とか木村選手に比べると、やっぱりアスリートとしてわからない部分がたくさんあるなというのは、この3年ですごく痛感しました。 」


「自分に何が必要で、どこまでやっていいのかとか、なんかその辺の加減っていうのはすごいし、すごく難しかったように感じますし。あとは、このスペインと日本っていうのを、行ったり来たりしながらトレーニングしていくっていう環境は、すごく僕にとって学び多きもので、かけがえのないもので、それがあったからここまで続けられたんですけど、逆に言うとこう、そういった調整だったりとか、トレーニングの長いスパンで見た時のカリキュラムだったりとか、難しいなと感じる面もあったので、良し悪しだったかなと感じてます。」


「この大会に向けてはそうですね。東京に向けてもそうだったんですけど、さらにその先、こうお互いに進んでいった時に、 多分木村選手も同じように感じてるのかなと思うんですけど、全然違う道を進んでいったのかなと感じてるんですよね。彼は幼い頃からアスリートとして、パラアスリートという自分をしっかりと持って、そのアイデンティティの中で結果を伸ばしていくっていうところにもう全てフォーカスして、その挑戦をみんなに見せるっていうところが彼の戦いであり、目標であり、そして金メダルっていうのがすべてのその象徴だと思うんですけど、僕はどっちかっていうと、ソーシャルインクルージョンを巻き起こすツールとしてのパラリンピックの価値っていうところにすごく意義を感じていて。」


「アスリートである以前にソーシャルアクティビストっていう意識もすごく強いので、なんかそういったことで自分の学びを深めたいとか、皆さんに何を伝えなきゃいけないのかとか、あとはそのパラリンピックが社会に対してより価値を持つにはどういったことをもっと育てていかなきゃいけないのかとか、選手のキャリア形成と含めてですね。なんかそういったところに僕はすごく視点を置いてこの3年間過ごしてきたので、そういった意味では、お互いが全く違う道、またお互いの違ったパーパスなんか、それに向かって進んでいった2人があそこで互いを称え合えたっていうのは、また東京と違った視点で互いに感じられるものがあったのかなと。そういう気持ちですけどね。」


山口尚秀 選手

「単刀直入に言うと、こういった大きな歓声の中もあったし、特にフランスの選手がその出場入場した時には、その選手の顔写真が載ってるプラカードを、それを観客が掲げて、おーっていうような大歓声の中でのパラの水泳大会だったので、こういった熱狂とか、その文化の違いっていうものも、改めて実感はしました。」


「昨年にですね、英国で武者修行をしたんですが、イギリスのそのパラの選手もですね、練習の時とかもすごい積極的に取り組んでいたし、目標を立てて計画的に取り組んでいたっていうところがすごい印象的だったので、そういうアイデンティティを大切にするような、こういう姿勢っていうのはすごいなとは思いました。そういった、そういうスポーツを通じて、こう自分の表現をするっていうことが、やっぱりこういうパラスポーツの価値なんだなという風に、僕はそう思いました。」


「100メートル平泳ぎですが、前半は自己ベストとほぼ同じペースで取り組んでいて、ほぼ同じペースで入っていったので。後半は、腕とか、体、上半身とか体全体も、体全体が疲れたっていう感じです。急にガクっときたようなところで失速してしまいました。でも、その失速している中で意地を出していく、もう本当がむしゃらな感じでやって、なんとか銅メダルにたどり着いたという結果にはなりました。」


「実を言うと、1ヶ月前に左足をちょっと骨折してしまって。ウエイトトレーニングをしてる時にですね、ちょっと当たりが悪くて骨折をしてしまったという。第5中側骨をこう、折れてしまって。2週間、手術と入院生活を送ることになって、しばらく水の水中での練習習ができなかったんですね。 呼吸筋とかも少し落ちてしまったっていうこともあったんで、とりあえず今は足の治療に専念して、これからどんどんレベルの高い方に取り戻していって、さらなる進化を求めていくような形にしていくのが最善ではないかなと考えております。」



富田宇宙 選手

「そのパラリンピック全体っていうのはですね、なかなか僕も見渡すことが難しいなと考えてますけれども、少なくとも、そのパラ水泳っていう世界を、僕が僕なりに、その世界の視点で考えた時に、今回も、例えば木村選手、鈴木選手、窪田選手、すごく強化がうまくいってメダルを獲得しましたし、 知的の選手2人ももちろんそうですし、国内のそういったメダルに向けて頑張っていく選手の強化っていう体制については、世界に全然劣らないレベルまで来てるのかなって感じてるんですよね。」


「指導力だったり、そのファシリティもそうですし、お金の面もそうですね。特にトップ選手については、 、助成金であったりとか、企業の支援っていうのも、すごく潤沢にあるような状況だと思いますので、特に金メダルを狙う選手っていうのはですね。」


「だから、そういった選手たちへのそういった投資がうまくいって、ぐっと選手を成長させる力があるっていうのは、多分皆さん感じられていて、それで金メダル、今回、ゴールボールとか車椅子ラグビーが獲得して、そういったところをですね、すごく皆さんいいと、もちろん感じていらっしゃると思いますし、僕自身もとても素晴らしいと考えてるんですが、逆にその視点を変えて、より広範囲にですね。パラスポーツというものを考えた時に、今回、水泳でも日本は一見メダルが多く取れてるようにも感じるんですけれども、ただ、パラリンピックって実はすごくメダルの数が多いので、世界の他の国々と比べると決して多くはない、順位としてもすごく高くはない。そういったメダル獲得の状況っていうところがありまして。」


「より多くの選手をパラリンピックに連れてきて、いろんなクラスで戦ってもらって、結果として多くのメダルが出るような強豪国、またそういったパラスポーツがすごく、パラ水泳がすごく発展しているような国になるためには、選手を幼い時から育てる、地域のそういった組織ですね、がより重要だと考えていて。」


「今回、 宮前ドルフィンっていうチームが、日向楓選手、川渕大耀選手、芹沢美希香選手、3人輩出してます、日本代表に。そこはすごく選手の強化うまくやっているようなチームで、他にも千葉で窪田幸太選手と荻原虎太郎が幼い頃に活動していたチームとかもありますけれども、そういったチームを全国でいかに増やせるか。そして障害のある人たちがそこに入った、スポーツをやりたいと思った時にすんなりできて、その人たちがより強くなっていけるような地域の環境づくりっていうのが極めて重要じゃないかなと考えてます。」


「僕はスペインで所属してたバルセロナのチームは、選手が30人以上いて、コーチも4人ぐらいいて、すごく大規模な障害者水泳チームで。それが決して国のお金とかでやってるんじゃなくて、一般のスイミングクラブの中にある障害のチームで。それが当たり前に選手たちの育つ環境として、土壌としてあって。」


「今回、選手も3人、コーチも1人スペイン代表で来てますけど、なんかそういったところがすごく日本にはないものだなと向こうに行って痛感しました。そして、彼らが掲げてるのが、ハイパフォーマンスが目標じゃなくて、障害のある人たちが社会に参画していくことが1番。僕たちのパーパスで宇宙みたいなメダリストが出てくれるのも嬉しいけど、僕たちは それが1番の目標じゃないとはっきり言ってるんですよね。」


「僕たち自分たちで大会をスペインで開催しても、1番主役になるのは、障害が最も重度の子供が25メートル泳ぎきる瞬間を僕らがみんなで応援するっていうのが、1番大事なレースとして設置されていて、ファイナルに。 そういったところがすごく、本来のパラスポーツの始まり、起源に当たるような価値っていうものを大切にした上で、多くの人が純粋にスポーツを楽しむ。それによって人間的な成長だったりとか、社会のとのつながりを獲得していく。そこにハイパフォーマンスを目指す選手も出てくる。そういったことがより推進されていくことによって、今ある苗を いかにうまく育てるかっていうことよりも、いかに広い範囲に畑を作って種を撒くか、そういう作業がすごく重要だなと感じています。」


「だから、日本はまだまだ、そういったスポーツ自体をみんなで楽しむっていうようなことの普及自体も難しいような状況ですけれども、さらに障害のある人ってなると、もっと難しい部分があります。さらに、こういったパラリンピックを開催するたびに、そのメダルでその成功、そういったものにフォーカスして、もっと頑張れ頑張れ、障害者も出来る出来るってなると、楽しいよりも苦しい、難しい、そういったものが先に来てしまいそうな心配すら僕は覚えているので、そういったところを意識を改革しながら、スポーツって楽しいよねとやってるとみんな元気になって健康になれて最高だよね。うまいやつはパラリンピックに行ったらいいんじゃないって、そんな環境作りっていうのにも取り組んでいきたいなと考えてます。」


山口尚秀 選手

「まず、東京の方では、まずコロナの影響で無観客での開催ということになって、日本の国民がどれだけパラスポーツを認知したとか、注目をしていたかっていうのが、実際目にしてみることができなかったんですね。なので、パラスポーツという概念がやっぱり伝わっているのかどうかはわからなかったけど、とにかく自分の持っている力は十分に発揮していこうという一心で取り組んでまいりました。」


「次、イギリスの遠征のことに関しては、先ほど富田さんが申し上げたことと同じように、イギリスにもパラの水泳はもちろんあるんです。でも、そのパラの水泳というものが、そのアクアティクスGBという名称で取り組んです。それが1つのパラ水泳のためだけの組織ではなくて、そのアクアティクスGBに、オリンピックとか出るような水泳とパラ水泳、水球とか飛び込みとかダイビング、シンクロなどいったいろんな水泳の競技が1つの組織になって取り組んでいこうっていうことになってるんです。」


「そのイギリスで例えばオリンピックとかパラリンピックの選考会は、もう同じ会場、同じ期間で行われていて、そういうオリンピック選手もこう同じ会場に出ているから、そのパラの選手も同じ会場出ているっていうことで、自然にオリンピックもそうだし、パラリンピックの魅力っていうこともイギリスの国民に伝われるっていう機会になるんかなと僕はそう勝手に感じているんですね。」


「その障害があるからって、かわいそうとか障害があるからこれはできないよねっていう、勝手に先入観っていうものが押し付けられがちなんですけれども、日本ではですね。でも、まず100を求めるんじゃなくて、まずはやってみようっていう気持ちを持つっていうことが大切なのかなっていうことを、イギリスの遠征で学んだというか、障害があっても水泳やってるんだぞっていうような、水泳頑張ってるんだよっていうような印象っていうものは受けましたね。」


「次は、パリパラリンピックではですね、学んだこととして、各障害のクラスの選手も、どんどん自己ベストを出したりとか、あとはパラリンピック記録、世界記録を充実するといったことなんですけど、これらもやっぱりそのパラの選手もこれまでしっかり準備してきたんだなっていうような印象もあったし、自分も骨折の中で、自分の中での戦いだったなって。その中で銅メダルを獲得できたので、骨折の中ではやりきった方なのかなとは思いました。」